CoMMuNiCaToR「かわさきまこと」ってどんな人?
一人の人の存在には二人の父母があり、その父母にも二人の父母がいる。こうして十代さかのぼると、1024人の親を通して、一つの小さな命があると言われている。
父、了一・母、祥子から姉、妹、弟、私4人の命がこの世に誕生した。
人生のドラマは附属小学校2年生の時、友達ではなく先生のいじめから始まる。
その時はいつも教室から抜け出し日本海を見つめていた。
とても悔しい思い出として今でも忘れたことがない。
小学校3年になるとクラス替えが有り担任が変わった。
その年は東京オリンピックで、円谷選手がマラソンで銅メダルに輝いた年。
川崎、お前も頑張ってメダルに挑戦しなさいとエールを送ってくれた。
今まで15位以内に入賞したことがない少年にとっては夢のような目標であった。それから毎朝グランドを18週走った。そんな児童を先生が廊下の窓から見ていてくれた。
大会前日、先生が一言アドバイスをくれた。
何事もスタートダッシュだ!
16歳の時、アメリカへ短期留学をする。
テキスタイル、アメリカの住環境(家)、インテリア、ファッション、音楽(当時ヒットチャートNO.1の曲は明日に架ける橋)に触れ、全てにショックを受けて帰国。
帰国後、北里大学薬学部に入学。
勉強もせずにプロデューサー、デザイナー、そしてLIVEハウスでバンド活動をしながらボーカルとギターを担当、無類の音楽好きである。
教授に、君は大学始まって以来最低の学生と言われたが、卒業して27年、今もって教授から文を頂く。
「今度は何をやっているんだい?と」
5年間のでっち奉公(修行)ライオン(株)大阪、(株)小川屋(関東)で。
その間、これまでの活動を中断、再度訪米もあきらめた。
修行後、新潟に戻り父の会社で15年勤務。三代目社長も勤めるが、できが良くなく?あえなくリタイア! その間、トヨタラローラ新潟の役員も勤めるがカローラ車は乗らなかった。
平成11年6月、お世話になった会社を全て退社。
運命の転換期であった。
平成12年2月17日 明治2年、九代目又吉が創業した三條屋又吉を継承して独立、
(株)さんまたを設立。変わった社名である。
十一代目又吉(祖父)と縁が深いと聞かされ、毎朝一番に感謝の念を送っている。
3月15日 新潟で初めての薫香専門店・香りの道案内(お香・線香・他関連商品)
「香り小町にいがた」を開業。
平成14年、休止していたプロデューサーのビジネスを再開。
CoMMuNiCaToR(意味:語りべ・伝道師)として、NHKトップランナー出演、チャン・イーモウ監督の映画「LOVERS」メインテーマを演奏した世界的二胡奏者、賈鵬芳(ジャー・パンファン)と出会い、彼のステージをプロディュース。舞台監督、演出も手がける。
また、三谷幸喜監督の娯楽映画「THE有頂天ホテル」でスタンダードジャズを演奏したJAZZ PIANIST美野春樹トリオのLiveも定期的に行っている。
自身引き入るDEVOTION SINCERITY BANND(D.S.BAND)も結成30周年を迎え、表参道・原宿クェストホールで演奏活動を行い現在もおじさん?バンドとして静かに活動中である。
4歳の時からオルガンを始め、5歳になるとオルガンがバイオリンに変わり7年間も習う。中学に入り「禁じられた遊び」クラッシックギターを始め、フォークが全盛時代を迎えていたがエレキはまだ不良の楽器・音楽、ヒッピースタイルが流行っていた。
平成16年10月17日、日本最大の「天華二胡学院」よりのれん分けをして頂き「天華二胡学院新潟教室」を開校。講師に賈鵬芳氏の師匠である兄の賈鵬新(ジャー・パンシン)先生と賈鵬芳氏の一番弟子である寺岡拓士先生を迎え、NST新潟総合テレビ内でレッスンを行っている。
二胡の音源はバイオリンの一弦・二弦と同じ、不思議な縁を感じる。
平成18年12月7日、6年間お世話になった万代から新島町通1ノ町に移転。
店名も「香り小町にいがた」から「香り小町」に変更。
さらに、自分が使いたいと思う作品を身近な芸術として伝えていきたいと言う思いから、
全国の陶芸作家さんの作品を集めた「香り小町GALERIE」も同時オープン。
音・香り・アートをコラボしたこだわりとくつろぎの空間は、香りにとどまらず、五感すべてを潤す新潟唯一の薫香専門店として「完成」ではなく「感性」として歩み始めた。
カウンターで味わう香りはまさに新潟の歴史と文化。
季節の和菓子と北限のお抹茶、萩焼で有名な萩長屋門の珈琲「ティカルブレンド」もこだわりとくつろぎの空間に一役かっていると思う。
フランスパリに心を残しつつ、にいがた発、全国の皆様に「五感すべてにこだわった空気と空間を提供するミュージアム」を作ることが目標。
残念ながら「夢」は持っていない。
だから私の辞書に完成と言う言葉は存在しない。
100点は取れないけど101点なら頑張れる。
「香り小町」もまだまだ未完成の空間だから楽しい。
13代目叉吉 川崎 誠
誠は重たい名前である。
人は言ったことが成ると書いて誠と読む。しかし、私の場合は言ったことが成らないと読むらしい。教授にも指摘された。
だからではないが…
皆、 私を“MIKE”(マイク)と呼ぶ。
16歳の時、訪米中にMIKE & NANCYの名前をプレゼントされた。
NANCYは一生を共にする伴侶に出会ったときにプレゼントしなさいと頂いた名前。
残念ながらまだNANCYは現れていない。
昭和31年3月15日生まれ。
新聞に掲載されると年齢がバレバレである。
若さの秘訣は?と聞かれたら
1歳年をとったら3歳若返ると答える。
いつまでも語りべ・伝道師として
人生を語り続けて生きたい!!
ドラマはつづく
結果は銅メダル。
ゴールした瞬間、クラスの女の子から赤ん坊のように抱き上げられてしまった。
まだまだ少年である。 |